適切に判断する練習

以前、研修で大手食品メーカーの子会社工場を訪ねた際に、親会社出身の社長に「どうしたら経営上の判断を迷わずにできるようになるか」と言う質問をしたことがあります。

その時に「日常業務で頻繁に起こる『判断』が必要となる場面で、慣例的にそうしてるから…ではなく、小さなことでも『なぜこのように判断する(した)のか』をしっかりと考えて判断を積み重ねていくことが大きな経営判断をすることの訓練になる」と言われました。

この言葉がすごく心に残って、自分でも意識するようにしています。

そして、「なぜこのように判断する(した)のか」を考えるためには、様々な情報収集や仮説の検証などを行ったうえでの論理的な裏付けが必要、と言うことだと個人的に理解しています。

例えば、「予算5万円の〇〇という事業を行う」と言う場合に、昨年もやってたから、昨年も5万円の予算だったから、は論理的な判断ではありません。
その事業をやることが現在(今年)の状況でどのような成果につながるのか、様々な情報収集と仮説検証を行って判断する必要があると思うのです。

前例もあってたかだか5万円の話だから昨年通りでいいじゃん、と思うのもわかります。
また、「昨年同様にやろう」でも、「今年の状況を考えて色々な可能性を考え情報を収集して論理的に判断する」のでも、そこから導き出される「事業を行う」と言う結果には変わりはないのかもしれません。
もっと言えば、日常業務の中の多くでは、正直な話、色々と具体的に検討する以前に、従来通りの判断が正解だろう、ということが感覚的にわかっていることも多いでしょう。

ただそれでも後者のように、情報収集をしっかり行い様々な結果を予測した上で、最終的な判断を行うことが、この先もっと大きな1億円、10億円、100億円の事業だったり、前年通りと言えない前例のない事業を行う際に適切な判断をするための基礎となると思っています。

小さな判断をする際にミスがあって失敗した場合、その判断をする過程を見直すことで、次回以降の(ミスが許されない大きな)判断をする際のミスがなくせるのです。

ですので、日々の小さな判断を意識的にきちんと行う、と言うのが本当に重要です。

そして、同じように、村の事業においても「昨年も同じだったから」、「国(県)の方針がそうだから」、「声の大きな面倒な村民がそう言ってるから」、「首長がそう言ってるから」ではなく、しっかりと考えて判断されているのか、と言う点を個人的にはしっかりと見ていきたいと思っています。

なぜそれが重要か、と言うと、それはこの先、小さな大潟村が生き残るためには、前例を踏襲するのではなく、他ではやったことがないような、特色ある政策、事業を行っていく必要があるからです。

この先、村の生き残りをかけて大きくて前例のない事業を行うためには、(多少語弊がありますが)日ごろ行われているような小さな事業などを行う際であっても、論理的に判断する訓練を継続することが、大切だと信じています。

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